最新 追記

20070101

[日記]コミケッターlaiso

ギャル男居酒屋を堪能した翌日にコミケットかよ、とは思いつつさらなるリテラシイ向上のために行ってきた。しかしコミケッターたちの活動時間は早い。中央線圏民の俺にとって早朝は13時頃であるため早起きして出たのだが、有明三丁目方面へ出向く交通機関が分からず(いや乗り換えたことはあるのだが何故だかものすごい時間がかかったのでこれは他の正規のルートがあるのではと詮索していた)長考していたら山手線を一周した。ら、もう閉場間際であった。肉の壁のものすごい逆流を乗り越え会場入りしたが特にすることがない。ブラブラしていると立ち止まらないでくださーい白線より内側にお下がりくださーい焦点の合わない目でうろつかないでくださーいと教育的指導を受けまくる。ふと周りを見回すと屈強の猛者共がそこらの地べたで無作法っているのだけどなぜ俺だけ引っかかる。虐げか。ここらのローカルルールを飲み込まないと快適なコミケッター活動は望めなそうだ。しかし毎度、あの密集ぶりは胃にクる。結構前から感じていたのだが、この業界もぐりに即興でナビゲートを出す手筈が全くない。例えば俺はずいぶん前から買いたい「エロゲー」ノベル作品があるのだが買い方が全く分からない。いやこれは作法でも思い切りでもなしに(多少はあるが)単に方法の問題なのだけど。例えば顕著なのが記号と地図の見方。まず見つからん。カタログという糞高いものは買わないとどうにもならないのかそれとも劇場のパンフレットみたいなものなのか。激・現場主義の俺としては実地のみでこれ片づけようとしているがこうもわからんと俺の判断着かないところでなにかしら見分けているポイントがあるのではないかとも思う。脱オタ指南における「美容院の行き方」などと同様に。作法についてもわからんのがあってコミケットはたいがい即売所と交流スペースがごっちゃになっているためにどのタイミングで購入して良いのか。交流スペース状態をぶった切ることはものすごい重罪だったらどうしようとか。不機嫌そうな顔をして「くださーい」だとギリギリアウト、とか。販売員がマルイの店員みたいな絡みをしてきたら舌打ちをして良いのかどうか。これは広義即売会リテラシイみたいなものか。で3回そこらでは全然足りないのだな。歩いているとヒッポリト星人風の髪飾りをつけている人がいてこの人と何度も何度もすれ違ったので見かけるたびに「またヒッポリト星人……偵察か」と思っていたが、行動範囲とルートがかぶっているのだろう。これは奴のヒッポリト星人的な象徴によって可視化された現象であって俺が感知出来ないだけで、ヒッポリト星人的な部分を上手く人間オタに擬態したヒッポリト星人とも何度もすれ違っているのかも知れないし、それに俺は全く気づいていないのでもし命を狙われていた場合には後ろからズブンとやられる可能性は高そうだな思う。それだけ人混みがすごい。ノンストップで歩き回っているとなんだか区間ごとにある一定のジャンル傾向で固まっているのではないのかというのが分かってきた。で、なんかおたく界隈の評論本みたいな辺にきたら岡田斗司夫がニコニコしていた。ブチ切れる寸前の画太郎キャラのようにニコニコしていた。今回のイベントに何かしらの満足感があったのだろう。生岡田斗司夫を見たのでなんだかテンションがあがった。なんの思い入れもないがテンションがあがった。ブサブカル軍的には敵将なのか? とも思ったが最近は俺も別にサブカラでもないのでまた思い入れがなかった。でも得をした気分だ。で、にしても何を買ってコミケットを満喫すればよいのだと放浪していたら、そういえばK2Cがフリーペーパーを配布しているらしいのを思い出した(http://k2c.info/kyojin/modules/news/article.php?storyid=22)ので、よしもらいに行こう。きっとタダだし。と試想したが、で、どこに? と打ち切られた。適当に歩いてノベルゲー臭が渦巻いていそうな地区を探すがだめだった。まあ今回は諦めよう。で帰路。ゆりかもめはおもしろい、なんせぐねぐねぐねぐねと直線距離で進まないのに誰も「ショートカットできるだろ」と突っ込まない。行きは空いていたので先頭車両で脳内スペースハリアーごっこをできたが――関係ないけど俺は道路オタもあるので台場有明近辺の整備交通具合を見てロードでかっ飛ばすにはおあつらえ向きだなあ・気持ちよさそうだと思った――帰りは帰宅ラッシュで満員電車であった。この時期は乗客層も面白い新橋行きの端から乗ってくるオタたち、台場のデートスポットで乗ってくる(オタからみたら一般の)人たち(家族連れ)・カップルたち、どっちだかわからんパッと見オタっぽくないコミケに行ってる人たち、と見せかけてレイヤー臭むんむんのオタたち、オタップル、なぜか単独で乗り込んでくるくたびれたおっさん。これは魑魅魍魎でたいへん観察のしがいがある(対等な状況で観察が行なえると言うことは当然俺自身も観察対象となる。なんだか目の泳いでる人がいるな、という具合に)。車内が蒸したためか隣にいたマダムが湿・温度調整のため着ていたダウンのジッパーを下げたらものすごいミルクの香りが漂ってきてやられた。ノックダウン。マダムが王虎(http://tugger.hp.infoseek.co.jp/ss2-wan.htm)に似ていたため丁度俺の中では「ワンフゥー ウィン ウヲウハッハッハー」の勝ちボイスが流れていたのであった。

どこでもドアに脚が通る(はまる)穴を開ける

  1. どこでもドアに脚が通る(はまる)穴を開ける
  2. 脚を通す
  3. 行きたい場所を思い浮かべる
  4. どこでもドアを開ける

と、どうなるのか。

  • 行きたい場所を思い浮かべる(3)前には効果が発揮されないので脚は現在の部屋に出てくるとすると、4でドアを開けると脚だけ部屋に残るのか。3で足だけ先に到着するのか。
  • 4以前にもどこでもドアの先は「どこか」に繋がっており、2で入れた足は現在の部屋に出てこない。

    • 3の時「行きたい先」には脚の飛び出たどこでもドアが出現する。
    • 3の時に部屋と「行きたい先」に出現したどこでもドア2つが存在する。

      • ドアを開けた後、現在の部屋からドアを開けた方向とは逆からドアを見た場合どうなっているか。逆側から入った場合どうなるか。

        • 逆側からも「行きたい先」に繋がっているので、押し戸が引き戸になっただけの状態に。

新たな疑問が出てきた

開けたどこでもドアにもう一つのどこでもドアを垂直にはめ込み別の場所に通じるようにドアを開けると二つのドア縁の交わる部分はどこに繋がっているのか

図を描いてみている。


20070102

うちには旧・次世代ハードXbox無印のみがあるが、これは発売当初の格ゲーの家ゲーオンライン対戦がドリキャス時代に比べどのように進化したのか調べるみたいな目的だけで買ったので最近ではDVDも満足に再生していないなあということで、またぞろ家ゲオタの人たちにXbox無印のオススメタイトルを聞いてナウ、プレイしてみるかと思いさっきブロードウェイまでケッタを走らせたのだがまんだらけ締まってた。のでみんな大好きブックオフにてNINJAGAIDENを買ってきた。その後ミスドに寄ってポンデリングと一緒に入れておいたらなんだかNINJAGAがほかほかになってやがるのでうけた。これは事によるともちもちになっているすらある。ninjagaidenのエッジさが失われてないとよいが。 関係ないけどNINJA GAIJINだと途端にyoutubeオモシロホームビデオ臭が漂う。エッジさが失われてないと良いが。クナイあたりの。

オモシロ相対主義におけるコストパフォーマンスの飽和点

たぶん今までで一番やった家ゲ(ビデオゲーム)はダビスタだと思うのだけど、なんで家ゲをあんまりやらなかったというと、時間あたりの面白いをどの程度の度合い、どの程度の対価で手に入れれるかというのがしっくりこなかったせいで、アケゲーをやんなくなった理由もそこにある。音楽CDを買わないのも。これはつまり「牛丼を1ウマイとして、インドカレーやハンバーグランチで2ウマイ得られないのなら牛丼食い続ける方がいいじゃん」の吉牛理論なのだけど。オモシロイをこれに当てはめると、どれだけの金を使って時間あたりに割ったオモシロイ値を回収できるか、世の中にはオモシロイものがばらまかれていてそれを効率よく回収し時には使って自給自足し幸福になろうという宗教的比喩、というものがあってこれは「金がないけど気持ちよくなりたい」というひとにうってつけであり。だいぶん貨幣を中心とした価値なので、金銭に執着があるのかといえば、執着があるのに金回りは良くならないのはなんでだという。まあ金銭によって得られるオモシロイに執着があるのだろうけど、気持ちいい体験→幸福のラインは目的が手段にならないので堅てーなあと思うがこれを崩すような考えは今のところない。例えば「気持ちいい体験をして幸福になろう」とするのはなぜか他の根本的な価値観はないのかとすると、それを考えること・知ることが→気持ちのいいに繋がるからループするのでは(無理だから説明不能のWG理論は「ぬるい黙れ」という意味ではなく「無理だから」強調の意)という話を始めると「与太哲学者うざい」「君はどんどん危ない方向へ行っているね」「いや先ずクスリやったライトノベルのような喋り方やめろ」とかいうツッコミしか受けない。 ダビスタは年単位でやってたものであるから家ゲーオタのひとに「例えば長く遊べるタイトルは6千円だか払って何時間程度遊べるのですか」という質問をしたいのだが、じゃあドラマRPGなんやで40時間やって面白かったのは500円のライトノベル6時間*10册ぐらいで比べたらどうすか、「いやそれは面白さの質が違うから」みたいな想定問答で。じゃあ家ゲーの面白さはライトノベルの面白さに比べると高級オモシロイになるわけですかという。 とするとだなー。図書館で本を借りるのはタダ(というか払っている税の一部)だからそれを読むのに使った2週間で得られたオモシロイ、映画館で1.8千で2時間で得られたオモシロイ、夫婦のプレイスレスの20年間のオモシロイ(厳密にはプライスレスではないがあれはプライスレスの部分を抽出したもののみという意味なのだろう)。ちょっと考えるだけでも、1分を1円で1オモシロイを得るより、n分n円で最大値のオモシロイを得ること(が気持ちいい)を目指す思想だってあるはずだな。オモシロイも流動的で偏りがでてくると今度はこっちのオモシロイがあがってたりするので、考えるなら配分をするしかないのだろうな、それが自動で行なわれているというのがバイオリズム理論なのだけれども(今更ながら捕捉すると理論理論言うのは格ゲー界ジャーゴンの文脈であったりする)。 値で求めるのが間違いというのもあるが2つのオモシロイに度合いで優劣がつくからにして値を当てはめる余地はあり、かといって度合いをそのまま値に当てはめたものが完全である保証もないので常に疑いや誤差を観察しないといけないが、当てはめれない成り立ち自体を語ることはWG理論なのか。 さてバイブス重要理念で言われる「どんな因果があろうと面白ければいい」のオモシロ主義の人たちはどの程度これを考えているのだろうか。バイブス重要理念の面白いところは考えないこと考えようと思わないことがまた得に繋がっているところでもあるのだけれども、かみ砕くに「ダセー」。 あと関係ないけどこの前「ウシギュウ行こーぜ」と言っている人がいて爆笑した。


20070103

占わない

http://d.hatena.ne.jp/screammachine/20070101#p1 今年も行なわれるらしい。めでたい。 今年も初詣なかったしむしろ家出なかった。あと予想どうり病み上がりで過食になった。最悪だ。


20070104

最近の俺が言いたいこと
最近の俺はDJ OZMAとNANAが好き過ぎるが、そんじょそこいらのDJ OZMA NANA好きと一緒にされるのはいやだなあ。だがその違いをうまく説明する手だてが思いつかないのであんまり表明するのはやめておこう。

ここで重要なのは俺は楽曲も数聴いたこともなければDJ OZMAがどういう人なのかも知らなくて、NANAを5巻ぐらいまでしかまだ読んでいないと言うことだ。俺のこの好意的感情には「存在を認める」というものにかける割合が多く、「対象をより理解する」ことが含まれない。好きだから知りたいのか。知りたいから好きなのか。そもそもそういうものは好きとは言わないのであろうか。最近の一連のバイブス重要理念(理性→感情から、よりおおくの他者と有されるべき感情的共鳴)に纏わる影響であろうかなんかなのか。つまりは「言葉で説明しようとすると言葉の意味以上のものを説明できないし、すべてのものと言葉に意味が割り当てられているかあやしい」と言い出したのは誰なのかしらという問題だが。現に「なんで好きなのか」を考えようとしていないわけでは全然ないのにその気が起きないし、その程度の深度では適切な答えは出てこないのだろうなという感覚も持ち合わせているが心地悪くはない。思考は停止をすることもされることも出来るものだよなというのを思い出す。 俺の「DJ OZMA・NANA好き」に共通する思いは間違いなく「地方-東京」に関わるものだとは思うが、一部専門家によるとここ前数年でweb個人サイト言論圏にてタブー視されてきたものが徐々に変容し、破られつつあり、コミュニケーション弱者を自覚するものが真顔で声を荒げたり、その当事者性を持たない明かさないものが興味本位で言論に参加しても煙たがられない・退かれない、というものでモテ・いじめ語りなどを例にみてそう判断されるのは充分わかる。そしてどうやら次あたりに環境弱者問題「地方は東京に劣る・『東京ではない』ことが虐遇になる/東京は地方より優れている・権威付けされるべき土地として機能する」がまたくるのではという話だ。 つまりはDJOZMAもNANAも≪東京≫がなければその存在はありえないのではないかという漠然とした感覚がだなー。頭の中でタケノコ族とジュリアな東京がぐるぐる回っている。DJ OZMAは今言うと紅白の珍事で知ったかのようだが、直接の好きになったきっかけはあの人物が氣志團主催と同じ人間であると知った時であった。DJ OZMAははたして氣志團と同じ感覚で演じられているのであろうかと。氣志團のファン層って聞くに女子中高生とからしいけど、それはなるほど確かにその音楽は女子中高生には届けられてはいるが、80年代で言う銀蝿を例に挙げるに「バリバリな人」に届ける気はどの程度あるのだろうかと。と、同じようにDJ OZMAはこれはマエケントランスとかと同じ文脈ではなさそうだ、それは確かに氣志團などと同じように興味対象としての特定文化圏をモチーフにJ-POPを歌うというものではあろうが、どの程度DJ OZMAが「アゲアゲな人」の心を掴む気でいるのかが全然判断できない。「アゲアゲな人」と表記したがここいらへんの人を細かくフォローしてスッパリといくweb言説っていうのは、あるかないかでいうとまああるんだけど、俺の視界で上手くキャッチアップできないし、おそらく語られているポイントも人も「語り」とは見分けのつかない溶け込みようで絶妙にファジー不視化されており、web言論としては未整備だよなーと思っている。まあ「若者」とでもいえばいいのか、わかりやすいのは「おたく文化」とかなのだけれども、つまりは「おたく」に興味のある人たちは分かりやすく語ってくれるのだけれども、(彼らから見た場合の)チャラい若者の文化、時にはDQNやヤンキーと表記され、B系ならチーマーとか、水ッ気あればホストなどを称されてしまうような、つまりは「おたくになる過程で切り離されてしまったようなもの」「国内のヒッピー文化的なもの」というのはどうすれば観測できるのか。音楽語りである程度捕捉は出来ている感じはするが突っ込んだ感覚がない。これは所詮俺がオタク兼ヤンキーのアーケードゲーマーであり続けたいと思うよりも、視界外でインテリ気取り畑に足を突っ込んだ状態になってしまっているのか。俺は「少女にはあんまり興味を示さなかった宮台真司的な人」を求める。 と思ったが興味本位でhttp://www.toshiba-emi.co.jp/capitol/kishidan/ など情報を得てしまったらまた印象が変わってしまった。ozmaも氣志團も俺の思いこんでた辺とはまたずいぶん浅い表層のアプローチで着けてるものが違うだけでやってることあんま変わらないというか。ううんこれは知らないままの方が良かったのか。つづく。 ああ、NANAはほんと好きな人にはどうしようもなくもうしわけないのだけれども。俺はNANA1〜2巻を読んだ直後に上京したので、ありげな「夢を信じて上京すれば何か物語が始まる――大都市TOKYO(ブォォン)」というところだけど持ち上げて俺の人生に大きな影響を与えたと触れ回ることでギャップを楽しんでいるだけなので。ほんとNANAでなくてもいいような。タイミングの問題かあ。まあ俺のことは「漫画を描かないときわ荘住人的な吹きだまり」的な文脈で「音楽も恋愛もなしに東京に出てきてしまったNANA」とでもお呼びください。

占わない #2

堪能した。今年はそこまで寒くなかったのでよかった。俺が用意した相談事は以下

相談
ぼくはかねてからの憧れの地フランスに移住したいけれど、現実問題、そのような機会はなさそう・直接に繋がる動機もない(イメージだけで言っている)ので、どこか(できれば)東京23区内で「フランスっぽさ」を感じられる地区に行って満足しようと思っています。妥当な線はどこいら辺ですか?
解答
1.福生(即答)。2.吉祥寺、八王子、武蔵野あたりのなにがし美大がありそうな(イメージ)ところ。

ここでストップ。そもそも俺が感じる「フランスっぽさ」というのはなにか。一般的なフランス像はイコール「芸術の街パリ」ということになっていそうで、占わない師たちもそう想定していたのだろうけどどうも俺の中のフランス像は「美・光・伊達」などの要素とはほど遠く、愛好家による数々の文化的逸話を聞くに、オサレアートな外壁を隠れ蓑に少しずつピントのずれてしまった人々が当たり前のように呼吸をしているせいで総体・相対的に「気の違った文化」ができているのではないか。しかしそれが気違いとは見咎められはしないフリーダムな血流に恋憧れる。といった具合であってこれは単にまた別の知見を得てしまえば簡単にくつがえろうものなので、俺の中の「フランスっぽさ」が非常に恣意的なものなのは明白である。であるからして「この人は自己内のフランス的感覚を所有したがっているのを知ってもらえればいい」のが分かればよい程度で、それはなんだかゆるい場において短期的な「話のネタ」にはなるが親身で真意な解答を出したり・試行錯誤することは「どうでもいい」な。ということがスピリチュアルな作法を介しない占わないでは知ることが出来るのであった。


20070105

夏に買って放置していた『去人たち』というノベルゲームをやっとプレイした。シナリオ3つでやれば当日で終わるぐらいのボリュームなのだけれどもなかなかクオリティが高い。音楽・音声・脚本など、マッシュアップの形跡を感じられる。これはフリーゲームの形で公開されているものなのだけれども。俺はあんまりやらないので分からないがこれクラスのものがフリーゲームであるのだなあという感じ。あまりにデキがよいので既存のデキが良い他のゲームと同じ扱いで見てしまって、ああここでなんか間が詰まった感じがするよな、とか、複数の書き手の意図がごっちゃにちぐはぐに混ざっている感じがするよなとか、ちょっと背景設定が見えずらいなとは思うが、おっとフリーゲームだったなと思い直すみたいな。まあ別にフリーゲームは免罪符でもなんでもないので別に空気を読もう意図もないよなあとなんか思わせられる。好みでいうと最初のシナリオで、夢と虚構と現実とフィクション上の物語が錯綜する筋を良い感じに描写し情緒ある風景が出ているなあという感想。で、ラストあたりはもう一気に畳み掛けたなという感じなんだけど、それまで匂わせていたアンチロマン的なとこからある程度やりころまれているだろうテクスト・存在論西洋哲学な要素満載といった感じで作中セリフで「読者は呆れる」ようなことをわざわざ言っていて意図どうりの煙まかれ具合に胃からCO2が出てきそうなのだけれどもまあなかなか嫌いではない。イラストは初見というか漠然としたイメージであえて説明するのなら村田蓮爾みたいなものかと思っていたのだけれども、見てるうちにああ金子一馬・八神ひろきっぽくもあるよなあと。どことなく漂う陰気さとか、冷めて鋭い質感とか。まあ最近やったノベルゲームのうちでも作風も好みで、詰めるとこがまだまだありそうなのでなかなか先の期待できるものであった。 このゲームとは関係ないんだけどひさしぶりにノベルゲーやったら、ここで俺の中での用語で「エロゲー哲学」というものがあるんだけど思い出して、それは別にエロゲーに関する哲学ではなく、エロゲーに出てくるような哲学語りの独白体長文長回しをさすのだけれども(今更だけど俺の指すエロゲーはたぶんエロゲーを指していないので現時点ではアスキーアートみたいなものでいいだろう)これは俺が(一部)エロゲーをプレイしていた時に思った哲学的な思考・語りやそれを模したものが俺は好きなのだけれども、どうもエロゲー的なものの中に組み込まれるとそれぞれが独立しているせいでまああの娘がどれほどすばらしくておまえがどれだけだめなやつでそれを真意に考えているからこそ愛おしい大切にするぜ的な(前髪の長い主人公的な人は基本的にぶっきらぼうで無神経で『ドンカン』なので、なんかスイッチが入ったように発動するんだよな)それはそれ単体でおおそれは百万回泣けましたと素直に俺は思うのだけれどもその後展開するのが「さあセックスシーンだ」と言わんばかりなのでおおさっきの独白はセックスシーンに付加価値や因果を与えるだけのものなのかよと、で翌朝日常に出てくるコムスメがうんこしなそうだしヘタをするとオニイチャマとか言いやがるし俺ゲンナリ、みたいな。純粋哲学純血主義とでも言われてしまうのか。いや別にセックスシーンがあるならあってもいいんだけど。切り離されている感じがもやもやとするのだろう。


20070107

初期浦賀とかけて肉食と解きます。そのこころは、食べ過ぎると胃がもたれ後味が悪い。三遊亭好楽です。 http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/892420.html

ラノベやミステリ小説なんかじゃ、 妹萌な兄が、妹のために残虐な犯罪を…みたいなのが流行っているみたいだが、 現実は、違うんだね。 やっぱり、小説は現実のスケールに比べれば、しょぼいや。

浦賀作品かと思った。いやちょうど『彼女は存在しない(幻冬舎)』を読んでて例によってこれにも妹萌えや精神疾患やバラバラ死体や近親相姦や小説家や叙述トリックが出てくるからタイムリーでだった(浦賀作品且つ2視点書き分け進行+解離性同一性障害を扱ってる時点である程度の叙述トリック概要予測がついてしまうな。あと「なんでそこで肉を食うのか」がわからん過ぎてうけた。仮にサイコパスでもなんでもそこで肉を食う必然性つったら「浦賀作品である」ぐらいなもんだなあ。「お兄ちゃんのことが好きすぎるからお兄ちゃんの大切な人の肉は食べたいのだろう」のなぞ論理の発展に感心した)。それにしてもこんなニュース見るんじゃなかったなあ。かわいそうだなあ。そりゃー関わった人もかわいそうだが何より知ってしまった俺がかわいそう。いやあほんと俺が当事者だったらと思うとすごくかわいそうだ。そして無関係の第三者であった俺はえらく恵まれているなあ。すごいなあ俺。 浦賀作品は俺の知的(ちょい)エログロテクノウンチク欲をよい感じで満たす娯楽アイテムなんだけど前述の通り食肉感覚なので(読めば読むほど味わいのあるスルメ感覚とは対極か。関係ないけど昨日酔拳やってた)いつもよむたびにもう浦賀作品はいいか、と思うのだけど。たまにキメたくなるよなあ。あと読むのといえばファントムと透明人間ぐらいか(とあと八木シリーズで5作も産出してやがったので第一作以外もあるが)。果てしなく可能性が低いが、万が一浦賀先生にお会いする機会があれば「全作読みました。図書館で」と満面の笑みで伝えたい。あと「パーティに出ない作家はオフ会に出ないブロガーみたいでかっこいい。 最近の読書では、他には『日蝕(新潮社)』やら『私は作中の人物である(講談社)』、『究極超人あ〜る(小学館)』『ラバーズ7(小学館)』『実録 勝新太郎伝説(バンブーコミックス)』などをつまんだが。『日蝕』は読むのがたいへんそうなので断念した。たしかにこの手のものをリコンメンドしたらかっこうよさそうではあるが設定・テーマ・文体・著者近影含めて「かっこうよさそう」というだけであって明らかに俺の好み且つ知的水準をオーバーしているのだよな、ベリーロールで。だいたいにして信教とか文学とかに対する思い入れはバイブス的血脈は皆無、というか現時点での俺の読書体験人生経験知的好奇心にマッチしないので「楽しく読めない」というだけであって俺以外の人が面白かったり文学的に秀逸な作品であるかはわかんねーんだけど(ミステリ勢は『火蛾』でも読んどけ、という)。ということで『日蝕』、お薦めです。たまの休日にテラスでアフタヌーンティをがぶ飲みしつつZAZENBOYSや椎名林檎をBGMに、めくるめく読書体験をお楽しみください(いやただ俺が今日ZAZENBOYSや椎名林檎やYMOをかけながら読んでいただけなんだけど。ZAZENBOYSといっても部屋に転がっていた映画『真夜中の弥次さん喜多さん』サウンドトラックをいたずらに再生してみた程度。それはそれでアゲアゲであった)。 『私は作中の人物である』はまあ読んだんだけどおもしろそうなやつだけつまんだという感じで。短編作はそういうことができるから便利だな。まあ読まなかったぶんがそれで惜しかったりも後から思えたりするんだけど。表題作「私は作中の人物である」は良かったな。キャラクター哲学といった感じで。ファック文芸的であるな。筒井荒山好き近辺の人達は清水義範とかは好きなのかなあ。まあ俺は愛知出身と言うだけで清水義範を読み続けているのだけれども。 どうも短編となると俺は説明すると読書時間的制約ともなんとあろうか紙面上物語世界から空想内物語世界に「ノリ切れない」で終わってしまうことが多いんだけど、まあこれは俺のフィクションの嗜好にも影響を与えている気がする。なんだ、想像力ですか共感能力ですかコミュニケーションスキルですか。時代小説やファンタジーとかあんまり高度なSFとかは想像できないというか「現実とかけ離れた現実」に入り込めない。ので結果、現代物しか読めてないような。「5分ずれた世界」ぐらいのものしか許容できない(「え? じゃああの妙な館で連続殺人が起こるような小説は現実離れしていないの?」とも言われるが「成されること」は現実離れしてても受け止められるのだよなー。変な人たちが変な場所で変な方法で変な理由で殺されるだけでだいぶテンションがあがるという)。想像力かなあ。というかできた像があってもうわーこの像かこの像はちょっと失敗くせーなと投げてしまうというか。サスペンス・ミステリとかホラー・スリラーとかばっかで、「泣ける話」とか恋愛ものとか刹那系のものが楽しめないのもこれかなあ。サスペンスのなかの味付けに要素として入っているのならおいしく食べれんだけど、それめいんだされると「ちょ、ピクルスでけーよ! ピクルスにパン挟むのかよ」という風になってしまうという。これもこの先の経験によって領域が広がればよいと思うのだが。単純に面白いものが増えれば増えるだけオモシロイが回収できるだろうし。まあそういうとだな極論はだなあ。脳直マトリクスシステムのなかに投げ込まれて「すべてのものが面白いと思える感受性」を手に入れるのだなー。箸が転がったおもしれー、人が死んだおもしれー、面白すぎて手首切ったーおもしれー。「私はすべてのことが面白いと思っていて良いのだろうか。面白いという以外の感情を失ったことで他の何か大切な――」と考え出すとやべーアホほど面白くなってきたー、とか。 『究極超人あ〜る』は腐るほど名前を聞いてきたのでいつか読んでやろうとずっと思っているのだけど読んでみるとあんまり面白くないんだよなあ。どこをサバイヴすりゃーそんな思い入れができるのか。げんしけんなどからのおたくコミュニティ論等のアーカイヴを入れて挑んだんだけどやっぱだめだったわ。これはもっと前に読みたかったなあ。またオモシロ論で恐縮ではあるけどn年前の面白い実績はn年後の現在である面白いに太刀打ちできうるのかという「古い面白いvs.あたらしい面白い」論争が俺の中で勃発しているのだけど。面白い感は鑑賞者の状態によっても流動的に作用しているからなあ、しょっぱいもの食べた後さっぱりしたもの食うとより潤うとか甘いもの食った後にそれより甘いもの食うと甘いもの食わなかった場合とくべてそんなに甘くないとか(比喩だけど)主たるものだ。例えばだなー「好き好き大好き超ドストエフスキーです一千一夜ぬんでます」という状態からドストエフスキーなぞ存在しなかった世界になって、ナウなんとかノベルズで「なんとか賞受賞何某何太の作品です」と『罪と罰』と同じものが出された場合、それは村上春樹と比べてどうなの? という問題であって。それを「陳腐ですね」と、新しい面白いではないから価値がないという状態にされない保証が欲しいというか、いやライト古典漁ってると意外とそんなん関係ないなあと思える時もあるのでこの再分配に纏わる作法はなかなか奥が深いなあと。 『ラバーズ7』は五話ほど読んだけどはじめ卓球マンガかと思い期待してしまった。まあこれは『すごいよマサルさん』の冒頭の「むちゃくちゃに落書きされた机」のシーンだけ見て、同時期に連載していた『元気やでッ』とシンクロさせて「またいじめ漫画か!」と思ってしまったような勘違いであるのだけど。卓球には思い入れがあるので。なぜかというと俺は中学生当時ちょうどティーン間に「稲中卓球部ブーム」が来ていてさらにちょうど俺は中学生で且つ卓球部員であったからに「根暗なスポーツ・限りなく文化部に近い運動部(校内イチスパルタだったんだけど)」であった卓球部にスポットが当たりイメージの変容が行なわれていた時期だったのでコミュニティにおいてもその恩恵を直で受けたなあという。「卓球部に入ったから楽しかったよ」という強い思い入れですね。卓球マンガにはうるさいのだろうとは思うがそんなに読んでいない。スポコンものとでもいうのかな。その競技の知識や技術論までカバーしているスポコンものって少ないじゃない取材とかめんどくさそうだし。こと卓球なんかだと。『ピンポン』でいえばおそらく人間ドラマに描かれる割合のが多かったのだろうだけれども一応「シェイクハンド/ペンハンド」「ラバー・ツブ高」とか「下回転」「ドライブ・スマッシュ」などの用語は出てきてたわけじゃない。それ以上の細かい作品はあるのかなあという(今調べたら卓球マンガって思ったより沢山あるなあ)。そういえばトーナメントバトルものの楽しさを知ったのも部活動からであったな。うちの地区はなんかそこで勝ち上がったやつが全国取るみたいなレベルだったので「大会」とかなるとガチガチなのなんのって。「トーナメントバトルの楽しさは部活動と、幽幽白書とモンモンモンに学んだ」という。トーナメントバトルの楽しさってのは主人公視点から見れば「倒したらより強い奴がやってくる」「《最強》がより分かりやすい形で決まる」とううのもあるのだけど、「ライバルもライバル同士で闘っている」というサブストーリーの面白さはあるよなあ。幽白でいうと戸愚呂チームの戦いは全部追っかけていたし、モンモンモンで言うと「優勝候補としてでてきたJBブラウンなんか途中で負けてる」というギャグもある。 >『実録 勝新太郎伝説』 おもしれーッス。萌えーッス。

第一章『俺のどこが俺だろう』

萌えーッス。

何かが違う―― 自分の力で極めていない頂点 何もしていないのに人から与えられるご褒美―― そんなものはクソ喰らえだ

階段を登ろうとした時、お弟子さんが上まで抱きかかえていってくれた時 と、赤ん坊勝新は思った。 萌えーッス。 これはZilchを聞きながら読んでたら妙にマッチして笑った。


20070109

http://d.hatena.ne.jp/kowagari/20070104/1167904641 を読んで刺激されたので5年ぶりぐらいにケンタッキーフライドチキン食った。吐いた。そういえば自分はこの手のものが苦手だった。なぜ5年も食っていなかったのかを思い出せば分かる話なんだけど。なんだろう。油のぎとぎとがいけないのか。ポテトチップスは食べれない。がナゲットとかマックポテトは食える。唐揚げと天ぷらとか他のスナック菓子もいける(ダイエットしているから食べないけど)。あの粉っぽい皮が気に入らないのかも知れない。あとバケツに肉片が入っていると妙に萎えるので入れ物は重要だ。興味本位で「パーツ指定とかうざいっすか」と聞いてみたら「?」通じなかった。パーツ指定とか各名称とか現場でもどの程度認知されているのだろうか。かといって「貴様! ここの料理長をだせい!」と呼んでパーツ指定とかうざいっすかと聞くわけにもいかないな。というかうざいのはあたりまえというか、デメリットなくパーツ指定できるんならそういう仕組みを採るだろうし、まあ時間的な手間やら各パーツで捌ける量の差が出てしまうとめんどくさいなとかあって現段階では言ったもの勝ちなのだろうな。ああ吉牛とかのだく・ぬきとかも似たようなものなのかなあ。ちなみに「はてなダイアリー見てきました。われずください」みたいな感じがしてしまったのでパーツ指定は出来なかった。


20070112

http://www.youtube.com/watch?v=G3m8iIEymJw 平たい稲葉浩志が。空前の第n次TMRブームが来たのでワゴンのアルバムかった。TMさんは髪伸ばすと段々西川史子の方に近づいてゆくような。でも身体はガリガリなのだ。面白い生き物だなあ。この曲調からもの凄くaccessの残り香をプンプン感じたので初期かなあと思ったが'00年。解体>再生より後年なのかあ。まあダイスケ的にもすべて読めていたーということだな。あとDJ OZMA師匠の『I LOVE PARTY PEOPLE』も買ったがあんまり血流速度が変わらなかったのでこれを理解するにはまだまだ因子の蓄積が足りぬのだなと思った。あと平井堅の『哀歌(エレジー)』。これは抜群に良い。舌を噛み切っても噛み切っても足りない。でもエレジーって聞くとどうしても嘉門達夫の『哀歌〜エレジー〜』(怒濤の達人 1992 ビクターエンタテインメント株式会社 )を思い出すなあ(なんかあたらしいの出てた2005→http://lounge.ongen.net/free/trial_download.php?id=tr0000213675&file_id=fl0000000001&stream_flag=1)。自分の音楽の好みはよく分からないけどとりあえず人気J-POP男性シンガーはだいたい好きなのだろうな。有名・人気じゃない人は探していないのでよく知らない。


20070113

以前、伊集院光がラジオでアンゲームの話をしていて面白かった。子ども版の質問カードを大人が見てしまうとクルね、「たかしくんは問題から逃げることでその問題が解決できると思っています。逃げることでどのような新たな問題ができてしまうのか考えましょう」「なになにくんは『幸せになれるクスリ』をくれると言いました。あなたはクスリがひとを幸せにできると思いますか?」みたいなの。問題文を考える方が楽しそうだ。

「ポストネットサーフィン」<巡回>方についての模索

ちょっと時間が取れたのでrssリーダーを整理した。700ほどあったサイトフィードは一旦すべて削除(当然読み切れてなかったので未読件数がすごいことに。削除したらもの凄く動作が軽くなった)。一年ほど前からサイト単位での巡回についてはつらつらと書いてきていて。俺www史では「ローカルブックマークに登録したサイトを開いてチェック」→「更新チェックで該当したサイトを開く」から最近の「パーマリンク整備」革命後は→「『更新チェック>ピン立て/新着順記事ではなく話題ごとに読む作業』の分離」ときてMM/memoからはじめてSBMなどを利用してきたが、そもそも更新チェック自体もサイト単位で行なわない方法というのがあるのではないかと思っていた。ので、その確立のために試行錯誤をしてきた。しかしはてなダイアリーキーワードやMM/memoを最初に発見した時はやたら興奮したなあ。思うにハイテンポの電子音等を聴き貪るよりこういうwww/webtechに纏わる「未来っぽさ」を感じる時の方がテンションは上がり。なるほど、ここが俺のアゲアゲであるのかという。

サイト単位での新着探知からキーワード単位での新着探知へ

自分が読む記事(読みたい記事)や読んで評価する記事をサイトの書き手に委ねるのではなく、読む記事の中に一定のキーワードが頻出するのならそっちから読む記事を引っ張れないかという。で、そのキーワードの割り出しにはてなダイアリーキーワードとキーワードクラウド機能を使ってみた。はてなダイアリー最新14日間に(クラウド機能の範囲が14日までのため)自分好みのテキストを片っ端からコピーアンドペーストして、重複するはてなダイアリーキーワードを割り出す(これをやるためにはてなのサブアカウントを一個削除して一個サイトが停止したがまあオルタナティブオルタナティブでいいだろう)。そのキーワードが含まれる新着記事をチェックするのにまずhttp://blogsearch.google.co.jp/の検索結果のフィードを使う、で取得アイテム件数が多すぎる場合には調節を行なう。ここでキーワードを含むはてなブックマーク新着のフィードを利用(それでも多いならuser数で絞り込んだフィードにする)。とは別にキーワードtagのフィードを読み込む。これは記事の中にキーワードが含まれないもの(ジャンル/メタデータとして)を探知できるが逆に言うと人意によってtagつけされたものしかみられない(その意味で国内SBMではてなダイアリーキーワード抽出機能のあるはてなブックマークが最も栄えているのはもうけもの)。と、weblog内のみ記事しか探知できないのかとなったので通常のweb検索の新着フィードを探したがgoogleのものは大人の事情でごにょごにょだった。→ http://www.live.com/では一応検索結果のフィードがサポートされていたので使ってみるのも良いかも知れない。あとhttp://www.google.co.jp/alerts?hl=ja もある。 で、やってみているがあまり上手く回っているようには思えないな。これは困った。 hatena:b:fovoriteはある程度数入れてしまうと自分が選び出したウォッチャーの状況をリアルタイムで表示させる箱庭オンラインゲーみたいなものだなあ。


20070114

tesuto

余談にツッコミ

http://d.hatena.ne.jp/Maybe-na/20070113/1168727133

あと思うのは、2001年に「サーバー問題で2ちゃん閉鎖!」という問題が起きた時あれだけ大騒ぎし、感動的なFlashが作られるなどしたのに対して、今回の件はほとんどネット上での盛り上がっていない(というか、ニュース系の板以外ではスレも立ってない板の方が多い)のを見ていると、閉鎖しないと考えている人が多いのか、2ちゃんねるとは別のコミュニティを見つけた人が多いのか、VIPが暴れるのに辟易してそれなら閉鎖してもいいやと考えるようになった人が多いのか……まあ、2ちゃん的なものは今後いくらでも出てくるだろうから、最初の理由が大きい気もしますが。
http://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%88%E5%8D%B1%E6%A9%9F http://members.at.infoseek.co.jp/tera_link/2chheisa.html 2001年8月の閉鎖騒動とZAKZAKのソース初出01/12→1/14今現在の盛り上がりを対比させるのは時期尚早なのでは。Flash「ある騒動の記録」も公開は翌年01月なので(http://www.geocities.jp/hasami_san/flash_history.html)閉鎖騒動自体とは分けて考えた方がいいよな。FLASH作品フィルター効果でこの件を知ったような2ちゃんねる各板に分散している利用者からしてみれば運営周りの諸事情に関しての関心なんてほぼないひとがほとんどだろうしこの話題自体もまだ知らないんじゃないかと思う。騒ぐのなら強制執行が成されて掲示板が機能停止してからかな。でそうなった場合、盛り上がりに関しては、単純にここ数年で閲覧者・利用者やwebにテキストを書く人口が多くなっているので帰属意識のを持つ人の度合いにかかわらず前回より大きくなるのでは、と睨んでいる。というか実際こんな短期間で言及数がすごいことになっているので(それでも「納豆」には到底かなわないんだけど)。 というか厳密に言うとドメイン差し押さえってだけで閉鎖でもないんだよなあ。別に2ch.netでなくても良いわけだし。 http://resistance333.web.fc2.com/1-4.htm で久しぶりに読んだけど、当時ひろゆきが巧かったのは「個人サイト」として立ち上げたところだよなあ。逆に言うと今ではあめぞうリンクからのアングラ気質というか残り香的なものは2ちゃんねるにはないわけだから、ポスト2ちゃんねるが個人サイトである必要はないというか。


20070115

まさか二十六歳になるとは思わなんだ。もう感覚的には三十歳ぐらいまでは二十五歳のままいけそうな気もしていたのだけどなあ。なんか去年も同じようなことを言っていた気がするな。もうちょっと遡って十五,六、場外馬券場がキラキラした巡業の聖地に見えた多感な時期の俺に、伝えられるのなら「案外、歳はとる。俺の憶測ではヘタをすると十ヶ月〜二十ヶ月周期でとっているすらある」と届けたい。 生活はもの凄く不安定であると思うがなんかこう不安定な状態がこうも続くと、そのメタ位では「不安定であることに安定してしまっている心地よさ」みたいのが出てくるのかもしれない。かねない。


20070116

amzonでワゴンSCD『もっと静かに』を買って、ううむ俺の知るつんくプロデュース作品の中ではこの鈴里真帆のが一番よい曲だよな。モーニング娘(アスキーアート略)の初期だか中期だかしらんがにもこの類の喘ぎ声を二割強混ぜたような発声・歌唱方がとられていたのだけれども鈴里真帆ぐらいの年齢・エロどこぞの馬の骨さが出ている人がやることによって嵌るよなあ(youtubeにあった→http://www.youtube.com/watch?v=OimuoUyo3J8)。しかしこの発声・歌唱方なんかは自身がシャ乱Qでやっていたものと近いから別にミスターナガシマ方式の「ここはキュウーとうったてズババーと締めるねん」程度のコーチングでも簡単に実現されてしまうからあんまり妄想のしがいがないか。とあらかじめSCDを再生した後に「どう感じるか」まで決めておいたのに、amazon設定の住所入力不十分で返品返金キャンセルかかってしまった。ここだけ見ると、なるほど。うっかりやさんか。こやつめははは。とも思うがこれをやるのは三度目である。何かしらの意思を感じないでもない。毎度毎度キャンセルがかかった直後に住所訂正をしていないところから見ると、つまりはこれは衝動買いを抑えるための一種のファジィlifehackなのだな、と理解した。うそだぼけ。 もう一個注文していた『BAD LUCK ON LOVE〜BLUES ON LIFE〜』というものは、小室プロデュースではこれが一番好きだなあと思っていたが今見たら曲は日向大介(H.D.)であった。

豪訳文体

http://japache.infoscience.co.jp/rewriteguide/

最初のルールセットは、スラッシュがない時のリクエストのためのものです。二番目のルールセットがブツです。 そして、ディレクトリ毎の設定ファイル /e/netsw/.www/.wwwacl でブチかます設定になっています:
イカれた甲斐性無しは、ディレクトリの最上層にある .htaccess ファイルで以下のようにします。 しかしこれはいくらかのオーバーヘッドを作ることに気を付けてください。
こういうものを普段の日記に応用できるようになりたい。

[なぜなに俺シコ]ボコりコミュニケーションはなぜ起きるのか

前々からボコりコミュニケーションがすごく疑問だった。疑問だ、といってもボコりコミュニケーションってなんぞやと言われてしまうこともあったので記しておくと、ある先輩>後輩の上下関係にある二人によって行なわれる、先輩が後輩をボコることによって成立するコミュニケーション作法で、ほんと端から見ていると、なんの理由もなしに飛びかかっているようにしか取れない。で、コミュニケーションだと思うのは、具体的な暴力をふるう行為をみるに、主に攻撃箇所・方法が「後頭部への叩き」「外ももへのロゥキック」などの致命打にならないもので構成されているからで。くわえて、ボコるほうもボコられている方もいじめ・いじり等の感覚もなく「ただそういうもの」という受け止め方をしているので不思議だ。気になって理由を尋ねてみても「なんとなく」とかの返答だし。ホモソーシャル内における簡易疑似SM行為みたいなものだろうか。


20070117

ビックリマンチョコか!

納豆売ってないので相当腹が立つ。喩えるのなら、俺はピカチュウでもないのにドバドバと津波が押し寄せてきてそれに乗っかれずに藻まみれのテトラポット地帯に打ち付けられたような感覚だ。というか日2食をこなすヘビィユーザーなのだからちょっとは優遇しろよばかという。ヘルシング界のGIGAGINEことあるあるで取りあげられたからなのだろうけど(観てない)、前もヨーグルトがいきなり消えててむかついたけどこれも次の報道ぐらいまでで醒めるのだろうなあ。

[素晴らしきフィッツ俺ルド見参ッ!]オタサブ関連(編集)

  • 『おたくvs.サブカル』についての疑問

    • vs.は対の英略表記なのだよな。と、そっからはじまるのかよ的なことを思って、まあ競技表記の転用で対立をしているのか、という風に飲み込む。そうすると、おたくとサブカルは互いに相いれないものなのかという疑問もある。why(なぜ対立するのか)ではなくhow(どう対立するのか)は、言論の場なので互いに言葉をぶつけ合うのだろうが、「オタクを叩くのがサブカル」「サブカルを叩くのがおたく」という考え方でよいのか。おたく者(サブカル者)であるという立場から論じる時のバッティングをそう見立てているのか。どうも「おたくvs.サブカル」で対立しているものだというすり込みがある気がするのでおたく叩き(批判)=サブカル者発でないとする。おたくvs.おたく、おたくvs.アンチおたく、おたくvs.非・おたく。おたくvs.おたくカウンターカルチャー者。ううん、ややこしい。なんかすべてが共通項で対にできると思うのは間違いなのか。あとどうもすべからく階層構造で考えてしまうので転送するたびにパースが歪んでずれてゆく。「因子ということにしておけ」というのがベターか。

  • http://d.hatena.ne.jp/republic1963/20070114#p2

    • 一部受訳。「おたくとサブカルは『失われた青春』を巡って争う」→「青春→学園生活で得るもの」と「学園生活を終えていないもの同士(おたく・サブカル)は争わない」?
    • 「失われた」というと、有→無。っぽいが、願望(は有る)が為し得な(無)かったみたいなイチ表現法か。
    • 「青春」というワードもなかなかに振れ幅が大きいのだけれども。厳密には、人生を四季に捉えて「光・明・陽」的な時期・期間を示したものであるからどこに割り当てられても不自然ではない気がするが(二区間以上に分離されるのもまあ――でも人生=一周期という)まあそういうものが概ねティーンに割り当てられているよ・くるよ的な伝承というか、「青春する」という言葉があるように。また別の振れ先があって、じゃあ青春と《青春》にしておきますか――という言葉から入ってもなかなか考えが進まないので言語粘着もたいがいにしとけとのことなので(寝る。あとで)

  • http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%b9%a5%af%a1%bc%a5%eb%a5%ab%a1%bc%a5%b9%a5%c8

    • を見かけたので、について書く


20070118

出たッ! レインボー(やっほー)

当時、レインボーまでなら稼働させているゲーセンをみたことがあるが(動かすなよ)いざ対戦をやってみるに延々と小ソニブを入れ込むゲーと化していたのでものすごい運動量ののち、ふむどうやら良ゲーのようだな、ということで落ち着いたような気がする。昇竜波動誘導弾これひどいなあ。なんらかの対策をと昇竜波動を昇竜波動の無敵時間で抜けて――とやっても降下にぶち当たりそうだし先出しオッケーみたいな。しかし裏周り可能な技を合わせてバックジャンプ大K着地波動ガードでいけねーかいや軌道的にとどかんか玉引きつけの垂直ジャンプアマゾンリバーキャンセルKワオン?(Kワオンあったっけ?)と真面目に考えてしまったでないか。ののち、やはり延々とサニッサニッするゲーになるのだと思えた。


20070119

http://fragments.g.hatena.ne.jp/jituzon/20070116
permalinkは適切でない気がするのだけどこのへん、だいたい共感できたんだけどなぁ(「ああjituzonさんか」というフォルターをかけても抜いても)。風向きはナシなのか。割ととばし読みだけど(どうもjituzonさんは見てると、復帰後はなんか立ち振る舞い的な(魔法ワードだな)versionが2段階ほど上がっているなという印象を受けるな)。
虐げられちゃったと語る人には、そうかあ、とは一旦思うのだけど、でもなんか君それ(語ること)で幸せそうだから「自分を虐げちゃう人や社会に今日も関わっています的な惚気」に俺は感じてしまうのだよねえ。で俺自身に別にバックはないわけだからあんまり良い気がしない。ものすごい美味しい蜜の壷があるマキビシ地帯にクラウチングスタートきめてダイブするプレイか、とも思うし。「これが若さ故の……」とはあんまり思いたくもないんだけど(俺がそう思われるとむかつくから)、でもいざ老い側に絶つと別に自分じゃないので気にせんでいいやともおもう。
非モテ/コミュニケーション論の欠片を見ていると、その手のものはいじけやナルシシズムということにされて「恋愛に絶対的な価値を感じないのならそもそもいじけない(そこまで/webに乗せて大発信させるぐらい)、君こそ激恋愛至上主義者だおめでとう」的なところに落とされたりもするけど、またそれは分かるけれども俺も方面に明るくないし非モテ論壇の人たちも一枚岩でもないので矢印の方向いっぱい出ちゃっててどの人がどの矢印出してるのかもよくわかんないので、いじけている人もいれば構造を解体しにかかっているのなと素直に取れちゃうような文章も見かけてさっぱりわからねーという。と共に俺はこの間接的な場でどういうポーズをとれば一番オイシイのかしか考えていないので、わかんないうちは迂闊に手を出せないという。なんかほんとに「人類滅亡すればいいのに」が最善手のように思えてきちゃったりする時もあるし。ううん悩ましい。と同時にコミュニケーン論に対するポーズの取り方ってのは、トピックがあまりに身近すぎて(生活時間の中でコミュニケーションに関わる割合はどんなもんぞ、という)やりこむには難易度高いのか(アナゲーと一緒で)。あんまり書かない方がよいのかとも。

http://anond.hatelabo.jp/はあんまりみてなかったのだけど(何度目かの俺観測圏でのコミュニケーション論大豊作期らしいのであんまり食うものがない)、匿名"掲示板"に書くとチラ裏逝き宣告されるような極々私的な文章・意見(自分にとって)や長文持論などを匿名"日記"という冠で効果的にスポイルできた(いわば匿名掲示板と従来のweb日記の中間点に位置された)場所なんだなあと思った。どうもanond.hatelabo.jp内で論の掛け合いが続くとナビゲイション的な問題で追いかけづらいけど(故に追いかける気力のある粘っこい人たちが見えてきやすいのか)これをツリー構造にしたら(出力させた物を見たら)またそのweb日記的な効用が薄れるから変わってくるのだろうなあ。「名前重要理念と見た目重要理念とはてなの草野の天然うっかり面白発想でweb2.0大勝利」と言ったところか。
まあかぶりそうだ(いつもならこういう感想・論を出す時には他の奴はどう言ってるのか・かぶって見てる奴はどう思うのか・一定以上見てない奴にどうわからせなくつまんでおくのか・をもの凄く調べて思考してから書くが、最近の俺はだいぶんサボっているので立ち振る舞いの上手さ的なものは薄れてそのうちヘタをうちそうだな)


20070120

はてなブックマークを利用した投票・集計システムを考える

http://ryukougo.g.hatena.ne.jp/ なんか見つけた。これも俺が作ったやつなのか、と2年越しで思い出して笑った。 でオハコのダミーグループ作成でいろいろ試した

ユーザーダイアリータイトルにその都度のアンケートタイトルを設定する(アンカーの調整)すると、 http://hbmvote.g.hatena.ne.jp/laiso/20070120/p1 は[hbmvote](グループタイトル) - アンケート#1(ダイアリータイトル) - 項目#1(エントリタイトル)という見出しなる。

*p1*項目#1
<a href="http://b.hatena.ne.jp/append?http%3A%2F%2Fhbmvote.g.hatena.ne.jp%2Flaiso%2F20070120%2Fp1">vote!</a>
1アカウントにつき一票(同じuriに重複投票は出来ない)。 http://b.hatena.ne.jp/entrylist?sort=count&url=http%3A%2F%2Fhbmvote.g.hatena.ne.jp%2Flaiso%2F20070120 投票結果を見る。 2点。経過は常にオープン。投票締め切りができない。


20070121

一流のruby使いに抱かれたいのでまたtdiaryに戻した。もともと直で弄りすぎてどの部分のエラーなのか分からなくなってしまったのでふて寝していたのだが(弄ると言っても俺は独習なんちゃらを書架に入れておくだけで満足するタイプなのでおおよその仕組みと値の書き換えで調整していただけなんだけど)、今日は時間があったのでふむオンナを磨くとするか、と資料とにらめっこをしていたらなんとか意図どうりにいったのでよしとする。


20070128

引用の主従関係についていつも思うこと

http://anond.hatelabo.jp/20070128172358 より

自分の文章と引用した文章が主従関係になる(なったとされる)というのが判断しづらい。「コピペした部分に対し、自分の考え」など「少なくとも情報量が遜色ないくらいにはしないと引用とはよべない」とあるが、例えばですねえ

AはBであるからCである。ほにゃほにゃほにゃほにゃの場合はDであって、Eにはなり得ないのである。これを証明する事柄としてEがあり。EはFによって決定される。

を読んで《じゅげむじゅげむごこうのすりきれパイポハイライトひとり3ファイルまで御礼カキコは三行以上48時間以内に天啓を全うしなければ違法ちょうきゅうめいのちょうすけ》(一人称)は同意しました。

AはBであるからCである。ほにゃほにゃほにゃほにゃの場合はDであって、Eにはなり得ないのである。これを証明する事柄としてEがあり。EはFによって決定される。

を読んで《じゅげむじゅげむごこうのすりきれパイポハイライトひとり3ファイルまで御礼カキコは三行以上48時間以内に天啓を全うしなければ違法ちょうきゅうめいのちょうすけ》(一人称)はこの書き手の人格が"生理的に受け付けないので"否定します。

これは情報量→文字数とした例。

AはBであるからCである。ほにゃほにゃほにゃほにゃの場合はDであって、Eにはなり得ないのである。これを証明する事柄としてEがあり。EはFによって決定される。

を読んで私はaについてbがcである場合dには成り得ないのではないかと思いました。なぜならaはeのfによってそのeが決まるので原理的にありえないのです。

このケースはABCとabcは全く別の話題。全く別の話題だが書き手は"引用文を読んでそう考えた"と書いている。 とすると文章を転載する際に「自分オリジナルの一定の情報量(≠文字数、言い表している事柄)を持つ文章」を転用してゆくのは引用行為になるのだろうか。

[日記]

年初頭にゴスロリも飽きたし今年はエモキッズでも目指すかあーいい歳して、と思いこれは同時に俺が近年抱えるアグレッシヴ過ぎるウザバングとの付き合い問題にひとつの答えが出された感じだ。悪癖を抑え込むのではなくあえて解放させてみるというアプローチなのだと思うのだが果たして俺と前髪の間に正当な社会契約は成立するのであろうか。前髪は前髪の自然権を行使して内側にネコってるだけなのだが俺は主に「邪魔」という極めて理性的な観念から見た害念がある。しかし俺と前髪の間には同身体を共有することによる一定の信頼関係があり、これからも良い付き合いをしてゆきたいし、大貧民で負けてマジ切れすることもあるが、ジジババになってもアタッケーカテーをキヅコーという意思があるのだ(マジ感謝)。これをエモキッズ(あるいはいい歳なのでエモアダルドに)になろうとすることでお互いの利益が合致しよりより美徳を得られるのではないかという。で、では髪止めでも購入するかと雑貨商などを廻るに一向に好みのものがない。この街はギザ腸捻れユスの素敵な髪止めのひとつも用意できんのか支配人を呼べとひとしきりがなり立てた後にMD5なのだが(ミスタードーナツ買って5分で帰る)帰ってなんかいろいろ音楽を聴いているうちにどうでもよくなってきてしまった。

美少女なんちゃらゲームのムービーを漁る程度で減るもんじゃねーだろと言われたのでとりあえずやってみたらちゃんと減った。私の自尊心。返せ。もとはといえばwebで見かけた「いただきじゃんがりあん」というムービーがなかなかイカスなと思ったことからだが。ピーブイケーフラッシュの認識としてはnum1000.swf等以来のアゲアゲ感(チョベリバみたいな類で段々使いにくくなってきた)であるが、お得意の肉を引き千切るファンシー感覚、近・俺史の中ではさくらんぼきっすやThisisHalloweenを見た時のような高揚が。だけどサマばればれなの握りチュン牌ひねられ駿河湾fallingdown 当地担保で一発・勝ブ☆ ちょっとだけ(返済を)待ってネ エイッ

http://www.web-marmalade.com/data/miraroma/mr_index.html

同ムービー制作者であろうこれも観たが、中の下程度には好んだもののやはりいただきじゃんがりあんほどはこないな、と思うので楽曲からくる影響もあるのかと思いじゃあ曲の方の制作筋でも調べることにしよう。いつか。

今日の生活ぶりはAMラジオを聞きつつ90'sJ-POPの8cmSCDを漁って村上春樹を読んだ後物凄い勢いでwebtec周辺記事をクリップしたのち上記の通り美少女なんちゃらゲームのムービーを漁ってからグロ画像などを見て思い立ってインディーズのCDショップや古着ショップに行ったのち釣り具を興味本位で鑑賞しスーパーサガットでアイガーアイガーしてから倫理学入門書を読んでいたのでどんだけ趣味嗜好統合失調なのだよと思ったが(今復するとそうでもないな一定の枠には収まっている気がする)コンだけ動くのも結構稀なケースでいつもはひとつのことをやってるか一生寝ているかなのでまあただ飽きやすいだけでそんなでもないだろう。思うに奇人が己(主観で)を奇人と悟られなく、カッキャン(誤打そのまま)で奇人であるとされる「俺って変わってるとわざわざ言う人は全然フツー」と言うが、俺の想像するものすごい奇人は「奇人は自分の奇行を奇行だと思わない」という常人の論理を遥かに飛び越えた原理で動いていて、つまりは常人の想像できうる奇人から→常人が奇人と判断できない人間こそが奇人であり、それは一般には奇人にはされないのだが、その奇人は常人の感覚とは別のところで「自分は奇人」と結論づけることもあるのではなかろうかみたいな可能性を奇人好きの俺は感じた。


20070130

[日記]

俺は本郷通りには感謝している、大手町神田間がなければ猟奇殺人者になっていたのだから・・・ 雑居ビルオタ界における絶好のオーガズモスポットとして丸の内大手町→神田お茶の水以南がある。ここの空間のゆがみ具合はすごくて超高層ビルがドバドバ来たかと思ったら徒歩五分ぐらいですぐ様小便くさい雑居ビル街や八百屋煙草屋など混ざった飲み屋街が出てくる。Mビル大手町KビルやSビルを堪能したあと北上し西・中神田のエレベーターすらないKビルや工場跡のようなUビルの空気を鑑賞・体感するとスキーン腺分泌液も迸る。再開発の進む外神田周辺にも期待。


20070131

ウェブサイト時代のトラブルケース「アクセス制限のかかったテキスト(限定公開の著作物)に対して言及(や引用)を行なうことの善否」

前々からの疑問。 例えばSNS。ちょっと思いつくだけでも

  1. mixi(SNS)のマイミクシィ(承認ユーザー)公開日記に対して通常のウェブサイト上(アクセス制限無し)で意見をする
  2. mixi(SNS)のユーザー公開日記(通称全公開)に対して通常のウェブサイト上(アクセス制限無し)で意見をする
  3. mixi(SNS)のマイミクシィ(承認ユーザー)公開日記に対して自らのマイミクシィ(承認ユーザー)公開日記で意見をする。
  4. mixi(SNS)のユーザー公開日記(通称全公開)に対して自らのユーザー公開日記上で意見をする。

とある。 マイミクシィ(承認ユーザー)公開日記はある意味メーリングリストのようにとれるかもしれない。そうすると広義「私信の公開」の範囲内だろうか。 はてなグループユーザーダイアリーなんかは現状半SNS的なシステムになっていてパブリック公開・ユーザー公開・グループユーザー公開・指定ユーザーと選ぶことが出切るのでまた認識・感覚はずれるだろう。 それこそどのケースにおいても取り扱う話題による。「対象者のみ」に公開したいという著作者の意思の度合いでまた違ってくるだろう。 またここでは主に「言及」としている(「引用」とすると「発表・公開,創作性」等が絡み、著作権的合・違法にはとりあえず興味ないのでそれはおいておく)。「誰が(名前)」「どこで(場所・URL)」「なにを(内容)〜ということを書いていた/言っていた」とすべて明記する方法もあれば。「とある人が(とある場所で)《内容》〜と」と伏せるケースもある。

持論

おそらく現状ではある種の特定の話題が、限定された閲覧者以外に明示的に触れられる(≠公開される)のを否とするのが多数派だろうというのは理解。 SNSの類の場合、端末からウェブサービスへの認証が行なわれる→ユーザーidで選別され承認→閲覧されるの部分のみがシステムで取り行なわれる。この部分が確実。それから先は人の意思で行なわれる、のであって「空気」であるので重要なのはそこまで含めてシステムとして認識しない方がよい。「空気が読まれなかった場合いやな想いをする」「空気を読む方が多数派である」ということを理解した上で文章を公開する。「確実にいやな想いをしたをしたくない」場合には誰に見られても困らないことしか書かなければよい。 特にトラブルを見かけたわけではないけど、こういうこともありうるよなあと考えていた。

[日記]最近のB級スイーツ界

苺である。 セブンがプッシュしている。まるごと苺(マルバナシリーズ)、苺ロールケーキ恵方巻き(壮大な釣り)、ピノ苺味とかも並んでいる。今年度は苺がたくさん取れているのか、マーケットヴァイオリズム的周期なのか、俺は苺自体は嫌いではないが苺スイーツはなんともにんともかんともなので苺スイーツ比重増しについては心地は良くない。あれでしょう苺とか酸っぱいーの甘いーので攻めてくるでしょ。そりゃだめだ。甘いーのしょっぱいーのあたたかいーのとかよかましだけど。いや甘いのだけでいいだろうと。死ねと。どうかしている。苺農家の息子のせがれがお送りしました。


最新 追記