「GYAKU SOW DARRRR!!!!」はご存じデイトナUSA(SS 1995@SEGA)の警告表示をしばらく無視して逆走行する際に放たれるシステムボイスメッセージ(VF1のアキラと同人物らしい)であるが、俺俺大辞典においては場のメンツの固まった意思に独りだけ反対し突っ張り続けることで発動する。そして突っ張り続けつつ多数派の状況をよく観察し(こころの眼で)、隙間を突いてより強く突っ張り畳み掛け決着で我を通そうとすることを空気無明逆流れという(効果としては、そうすると昼飯が吉牛からcoco壱などになることもある)。しかしこの「GYAKU SOW DARRRR!!!!」というツッコミを受けたいがためにやたらと無闇無邪気に突っ張りが起きうるのでいつのまにか多数派だったものが孤立しまた被りが起きる末にまた分裂し、イニシアティヴが取られなく、結果場の時空間がぐずぐずになるという欠陥を抱えている。それだけこの「GYAKU SOW DARRRR!!!!」というボイスの面白み、シニフィアン的価値が優れているということであろう。
ひさびさーにamazonブックスを利用し、電子工学書と家電パーツなぞを購入せしめて、しめしめと思っていたら翌日にamazon(株)からギフト券がとどいてた。ずこー。タイミングわりーなと思いつつも詳細をみるにどうやらアソシエイト額が一定に足したそう。でも最近アソシエイトid付きリンクとか飽きてしまってやってないのでどういう事だろうとレポートをみるになんかサーチ→アマゾンのうかっり購入やら、わざわざ個別id指定をして購入しているようなものがあった。個別id指定する人とかもの好きだなーとは思うが(自分がやる気がしないから)まあ感謝しておこう。割り当て分の3%程の感謝の気持ちだけれども、機会があるのならビブーティーとかあげよう。透明の。しかしアソシエイトウハウハってぜってーほぼうっかり・ひょっこり購入(ログイン継続の仕組みから検索エンジン>個人サイト>amazon>amazon内移動)でできているとおもうのだけれども「レビューをみたことによって売り上げがたつ」的な理想郷をみている人たちが酬われないなというぐらいの割合で。これの対策を考えるのなら何かしら間に評価、viaポイント還元的システムを組み込むことだが、そうするとそもそものウェブショッピング的フットワークは失われるであろうので難しいもんだな。
さてギフト券。何に使おうか。特に買ってまで欲しくなるようなものがパッと思いつかないアンドamazonで売ってない。しかーたなしに速水ロッケンロー氏の著書でも買おうか。記念グッズ的に。しかしあの本俺観測圏で物凄い勢いで読まれて触れられているのでヘタしたら水道橋ウィンズあたりに落ちてんじゃねーのかとも思えてしまう。
なにっ。
世良公則アンドツイストサーブが返された。
>挨拶
ライソウです。
最近いわゆる菓子パンや菓子ケェキばかり食っておるので、その素晴らしさを説こうと思ったが結局T/Oか。T/Oだな。申し訳ない。
やっつけるか……
不器用に生きた奇跡の果てに辿り着いた愛で舌を噛み切る程に寝起きが悪かったので、先日発見したなんかマスカレィド調のイベント(→http://anond.hatelabo.jp/20070123152609 )を見にゆこうと思ったが脳から下層にかけての血流がいまいちにまわらなく端的にいうに俺バドールダリぃなので燃え尽きそうな火照る身体から叫ぶ龍神を・めっと叱りつけ黙らせ今日はウインドウショッピングとしゃれこむとするかと思い渋谷区方面へでかけていたのだが、忘れられるよ痛みを嫌だった夜はいかがどのようにしたものかと考え、結局東一丁目方面へ歩き出しBJC照井プロデュースするケルトアンドコブラ(→http://www.celtandcobra.com/ )のブランドショップなどを眺めてふうむシルバァアイテムはバリバリのゴテゴテであるなしかしそれらは総重量が増すと計量の際の不利益に繋がるのでは(なんのかは知らんけど)でもなるほどにそれでモテる超越した閾である愛されになるのなら設けものに越したことはないよな思い、俺が成すと悪い意味の多重人格探偵サイコのキャラクタァ的気持ち悪さがあるよなとこちらもスルーして、六本木どおりへ出てArt Port Inc本社ビル所在地(→http://www.artport.co.jp/about_us/ )で萌えーArtPort萌えーッス、とやってからスーシンチュウでも回収しておくかと付近大学施設方向へ歩む。

(やったー! 気持ちの悪い写真が撮れたよー!)
俺はその被包括関係にあるところの図書館オタ>公共施設オタ>建造物オタ>広義の「環境オタ」なのだけれども、いわゆる公立図書館貸し出しカード収集活動としては駆け出しなのでまだまだやりこみの余地があるのだが、あと豊島区品川区2つ程度で行動振れ幅範囲のは揃ってしまうのでそれ以上はいいかなあと思い始めてきた。シェンロン出てこねーし。みてみると中央区だけやたらとデザインがサイバーパンク路線だな。
マスカレィドには未練があったがLord, please shine yourr light down upon meなので(訳を聞かれると激怒する)まああれはどちらかというとアッパー系の催しだよなとhttp://d.hatena.ne.jp/extramegane/20070202/1170386219 なぞを見て知った国立新美術館で行なわれている国内メディアサブカルチャークリエイト展画に行くことに決めたので六本木七丁目方向へゆく、と当然乃木坂前で青山墓地ウォッチングに勤しむことになるのだが、今日は先を急いでいるので墓のでかさにも添花のしおれ具合にもワクワクすることはなく、打ち水――この季節にか、まあ余計に用意してしまったのだろうな……とスルーし、国立新美術館の展示スペース入場口につくとすげー並んでる。でも五分待ちぐらいで、帰る時見たらその三倍ぐらいにふくれあがっていたのでタイミングは良かったかと思った。
展示配置構成としては入口出口にかけて、古来の鳥獣戯画、北斎漫画、からくり仕掛けの写し絵(アニメ始祖として)、ロボ、土偶ガジェット(フィギュアとかの祖)、かるたなどのNO電動ゲーム(コンニチのビデオゲームなど)の前時代から始まり、歩取りをすすめるとまんがテレビCM(エンターテイメントムービー)アニメゲーム視聴覚アート映像作品などの各ジャンルの区分けが1950年代〜から10年刻みで展示してあり、それをのけると出口付近には「未来スペース」として最新techなどを経由したまあ2.0的なものが待ち受けているのである。
入場当初の前時代のショーケース展示では入場待ち整列の解除号令がないこともあってならんだままずとずと進んでいるのでそんなーに熱心に長時間鳥獣戯画眺めなくていーだろ・感心している表情っぽいのを作ろうとして失敗している人が居るな、と美術鑑賞者鑑賞よろしくいつもの悪い癖が発動してしまったのだが現代スペースからは主に興味津々であったので純粋に楽しめて良かった。マンガアニメゲームと言ってもほぼちょっとその時代を象徴するものをチョイスってきました程度であるので有名なものしかない。漫画でいうと10年ごとに10点ぐらいか。萩尾望都とかねじ式とかスラムダンクとか。90年代からはファミリーコンピュータなぞの試遊機がおいてあってレッツプレイングよろしくなっていて、丁度スト2はガン放置されていたのでパッド型コントローラで延々とめくりアッパー昇竜の作業をやっていたらこんな所来てまでもか、と思った。
国内メディアサブカルチャークリエイト展画を出てなんか巨大ロボットが外で動くらしーのでそいつはただごとではないと思ったが時間が合わなかった。別フロアに出向くと丁度明和電気のliveが本日やっていてうわーまだ充電生きてたんだという気持ちになって感心し、さらにうろうろとすると施設内に芸術図書閲覧貸出スペースがあるのでそこにいき、セルフトートアートの史実・作品紹介の易解説書なぞを目を輝かせてむさぼり落ち葉拾いっぽい猫背で読んでいたら数時間経っていつの間にか暗くなっていた。セルフトートアートとかちょう憧れるのだけれども俺の専攻はweb日記記述であるのでそれにいかせねーかという(実際ヘンタルヘルス施設利用者の記述文章を学者的に研究でナシに大衆的趣味嗜好で好んでやりこんでいる人もおられるし期待は出来そうな)例えば印象派とかそもそもシュルレアリズムは文学からはじまったものでもあるしテキストサイト界隈のテキストプレイも其れを模したアプローチであると有ると思うのだけど(いわゆる書く・が考える・の速度を超えれば『考えてないことを書けるんでねーの』という)セルフトートアートとかアウトサイダーアートとかアールブリュットとかはそれを評価した人によってされるのであって、自らセルトートアートをやるからこういう事をしようというのは難しく秀才型の奇人では狂気は生み出せにくい(真の狂気的ラベルが剥がされやすい)よなと、とそれをいえばなんだっけ死後までに死ぬほど作品を描き残してそれを別にどこの誰にみせるわけでもなく描きたいから描いていたアウトサイダーアート被評価のひとなんかはビックリするぐらい格好良いがそれを狙ってやるとなると生涯かけないといけねーから欲管理はどうすんのとか始祖っぽい土佐日記とかはとりわけ中でも広義レポートの作法だけれども、日記文学ではなしにweb日記記述という趣味のより良い面白さを求めるのにかかる芸術的価値は視覚芸術ならぬやはりパフォーミングアートの要素にも取りかかってくるわけで別方向からのプラグインが必要だなと。象徴的であるのが「人間の肌の色を塗るのになぜ肌色のくれよんを使わなくてはいけないのだ」という話があるじゃん、それと同じでweb日記文章術界隈においても文章の成り立ちの例えば「しかし――」とかかれても逆のことを書く必要も句点をつける必要もないのだよなーと、そういう意味で俺は今まで国語教養呻いたものをろくにいれてこなかったこともあろうにセルフトート的なものは手に入れているのではないかという理想的観測もあるがこれもコラージュめいたもので参照が多々を締めるしなにより自分はレトリックの人である、セルフトートの人は作法も学ばないが他作品を見ることもないのか、どうなのかな。日記でも「書かれたすべてはネタです」的な文章がそのままはい終了ではなくそのまたこの文章がネタか、ネタとはなにかというやりとりや、分裂劇場を体験した以後の人にネタマジガチオメタフェイクで仕掛けるのにはひと工夫必要だよなとか、そうではないという方向にとどまらず進むのはわざわざ言わなくてもフツーの慣習であり、そうあるということがよくできてんなーと思う。別と、前衛芸術勢の人が枠をぶちこわせキャズムを引きちぎれ既存の概念に縛られないことに縛られないことにしばrとしたりして、有る一例ではなんとかいう芸術家が街の普通の露店で買った男性用小便期にサインを書いて「これが私の作品です」と提出し、どうだこれが作品は自分で作らないと行けないという既存の概念を問題提議でうんちゃらかんちゃら――と、そいつは間違いなく顔面パイぶつけられ待ちで有ることには間違いのいのだけれども、結局は芸術作品として仕上げる(または仕上げないものを出すというのもあるが)というのが最終的に行き着く先なのでそこの枠組みは出れていないよなーというむしろ出ちゃった人はもう芸術作品を作るとは明後日の別方向にいっちゃっているのでほぼ観測できないというかああそこでショベルで穴掘って石埋めて物凄い勢いで掘り返してを繰り返している人は前衛のこじらせっぷりのなれの果てであるよ(中華)とか普通にオリジンで唐揚げ揚げていても何周かまわった上の枠の概念をセルフマインドコントロールでつくった前衛の人だよなとも言える。狂気という焦点のずれを表わし感じ取ってくれる人があり成立するのでポット出てははかないものだよなとその本でも締めていた。
火が落ちて背骨もひとしきり歪んだところで腹が減ったので、おおそういえば広尾付近になんか酔狂なメニュゥかかげているラーメン屋があったなとたべにいこうと南青山七丁目方面へ移動する、と経由する西麻布交差点あたりではううむこの渓谷はなんなのだといつもの疑問から俺がー神の視点でーポピュラスったらー西麻布の土地を上層に上げておくなでもそうするに表参道方面までボーンと上げていかないといけないしそこいらにあるセレブ立ちのマンションもボーンてなってまた藁の家からやり直しかということを考えつつにラーメン屋を見るとスゲー混んでるし並んでいるのでそんなに人気店だったのかよと思いおのれ人の感情をもてあそぶなんて絶対に許せないので倫理道徳感的に排除してやるぞと思ったら俺内カウンセラーが「そうそうあなたは幼い頃母親に愛されなかった。且つ性的欲求が充分に満たされないのでそんなに性格が歪むのです。カルテはまだ読んでないけど」という診断を下すので幹道沿いの家庭料理屋にでも行って陰気くさい奴が混ざることで崩壊調停後の荒んだ家庭感を出しにかかるかと思うが、ここの本日貸し切りでヘコー。結局MD5(ミスタードーナツ買って5分で帰る)でビジュアルノベルビデオゲームひぐらしはどこまで進んだのかたしかコロニー落としが決まってホワイトベース量産したあたりで俺のターンだよなと今現在に至る。
今日は節分日らしく俺も商業イベントにはノリであるのでいつどこらしらの野良節分ONIの方々が俺の構って波を感知してなぐごはいねーがしてくるのではなかろうかと節分豆をボリボリ食べつつ懐に忍ばせていたのだがそうそう野良節分ONIは歩いていないので普段見かけてからのむかつく特定建設中看板(なにがし財団か建設の上目使いでこちらの表情を窺っているようなイラストの)に対して人様に迷惑をかけてすいませんって面じゃねーよこの蛆虫が、と豆をぶつけ噴き上がり無表情で拾って自販機横のゴミ箱に捨てた。
http://pc10.2ch.net/test/read.cgi/blog/1168587849/370
高見「凄いね」
ヒロ「殺到してる」
高見・ヒロ「こんなときは」
ムーシャイダーンス コミュニケーション!
スゲー笑った。しかも高見とヒロは一緒の人だろう。
秋葉原でケータイクレジット装置の付いている自販機をすげー未来きたなーどーなってんだと熱心に観察して弄っていたら万世ポリサーにエンカウントで職質。しまった。そらー職質される。しかし噂に類わずカジュアル職質であるな。おたく狩りか。いやおたく狩りの人狩りか。どっちなのかは知らんけど。まあ当然刃物は持っていない。そしてものすごーく腰が低いので逆に挙動不審でたいへん申し訳ないと思った。
抹茶羊羹(\60)の空き柄は携帯式灰皿に適切なのではという大発見があってこれはすごいことに気づいてしまったな何某家の食卓に投稿せねばと考えていたらビニール燃えて火傷した。laisoは病を生む機械か。
昨日テレビ観てたら裏チュン出てきて吹いた。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/913865.html
いやー突っ込むべき所はそこじゃなくて、俺は「秋葉ホームじゃねえだろ」的な事を思っていた。(株)ダレット西新宿だし(http://www.daletto.co.jp/info.html)。まあそう思うのはフジとかスタメンはおたくは秋葉原に通い腐女子は池袋に通う生き物だ的なところに落ち着けたがるからな。まあほんとに秋葉原通っているのかも知れないけど。トライタワーとかあるし。
今のところ次の最有力候補は乙女ちっく趣味を持つイケメン男子の特集という予想なんですけど(乙女男子でもオトメンでもなんでもいい)。あくまで趣味趣向のみで容姿や仕草や振る舞いは極めて男性的で、むしろ乙女ちっくな趣味を恥とし隠している、というようなギャップをとっつけて。人を罵倒する時に例のナレーションっぽく「そんな彼(女)らをこう呼ぶ――『○○○○』ずどーん」とレッチリすると効果的にイヤガラセがかかる。
図化するもの
時にメタの功罪と呼ばれる、メタ一方向のメタ/ベタ中庸でない高位にポインタを置くのみで視野が広がらない(つまらない)振る舞い。の解説。
終電が行くとわりと静かな街 明るい夜はとても便利です
ほんとの事を僕らは知りたいだけ 僕らの日々は
使い古した言葉で強くなれ る 旅の果てまで東京 / GOING UNDER GROUND
どうもおかしい。メタフィジカル的転点にきている気がする。のが、先日Heiner Muller題材の気違い演劇を観てうひょうひょして、Jan vankmajerの短編映像作品を観てぶひゃぶひゃしてだなー(神の舌を持つ男)、一反はそうだ俺はこういう人種なのだ! と結論づけて安心してから翌日にはもう崩れている。なにかというとありのまま起こったことを話すぜ・・・俺はまずrubyの実行文字列やらをいかんとしたものかと睨んで弄っていたのだがTV画面から「やしきたかじんで東京」という声が聞こえてきた瞬間(いや幻聴ではなく岡村隆史かなんかが言っていた)「そうだ東京に纏わる歌謡曲を聴き集めなくては!」と思い調べていたのだけどまあ長渕から銀杏ファジファブリック宇多田グループ魂DEENフランク永井GOGO7188とタイトルだけで引っかかるのでもものすごい量があって、珠玉混合か。金剛像か。と、うわー道のりが長そうだと思ったところで姫トラですよ。これはやべーのきたと思い深夜にプジョーをぶっ飛ばしてレコードショップなるものに行ってきた。何年かぶりに。
結論としては俺は悪くないのでどうも東京の野郎のせいだなとはおもう。田舎にいた頃は彼は良い子だった。やればできる子であった。そしてやらないで寝ている子であった。ロフトもあるビッグサイトもある外神田も歌舞伎町も神田松下町もある、オラこんな都市いやだ、知床(しれとこ)帰って、じゃがいもばたけでポリスノーツごっこやるだ、と謳った詩人は幾人物であろうか――私の記憶が確かならばおそらく鉄人・ゲーテであろうが、最近はこのトウキョウ的な疑似病的悪癖に大衆舞踏音楽に興味津々で、どこらへんかなーとユーロレイブコア周辺の史実を漁りだしたがどうもピンとこない、のはそのカウンタカルチャッ子的挙動願望のせいでインテリ流れに乗って一部特定音楽史観を講釈垂れるのに嫌感情がある、が知識を入れること自体は良しとして、それはカウンタ対象を凌駕するために利用すべきだなとはおもう。具体的に言うとクラブカルチャーでも最も下種で衆悪で国内一部特定タコツボ的で現場ライン的なフェイズに憧れるのであってそのための姫トラであるな、とこれをまさに俺は鋼の拳を持ったテキストサイターという種に生まれ落ちたからには最大限に利用しようと思った。傾倒というのかな。のちに脳内刊行される俺思想史では、この時期のlaisoさんはバリバリのノリノリのアゲアゲ周辺をもの凄く陰気に吸収する手に負えそうにない状態にあったらしいよと記述されるのであろう(今、木村由姫のLOVEアンドJOYが流れている…… 弁護士 花村大介か!)
laiso 二〇〇七年二月 チェイコフスキー/交響曲第5番を聴きつつ――マカダム式ローラーでのした飴細工の棒手裏剣を投げつつ
半セルフトートなのだけど、意味段落の行頭一文を読んで、主→従になっている描写箇所を全部飛ばす。会話文は読む(独白調のものは前同)。本筋で何が起こっているのかこれからどうなるのかのみを辿ってゆくのでサブストーリー・回想シーンも豪快に飛ばす。途中筋を見失ったら、流れを掴めるまでその地点からムーンウォーク(指示語ではじまったりする場合はその直前の文を読まないとわからない)。これで『ねじまき鳥クロニクル』読んでみたけどちゃんと話追えた。ただすごくつまらない。あらすじ本とか読んでいるようだ。しかもあらすじ本よりずっと面倒くさいし。このとばし読みで大まかな構造把握をしてから興味有りそうな箇所から読んでいくというのも乙なのかもな。
なんか街中でやたらチョコレイト関連のポップとか見かけたので平日チョコの禁を破ってガーナぱくついてしまった。クリスマスケーキと違って値下がり品を漁る楽しみがない。だって\98のやつのが断然うまいというか甘ったるいもの。B級高級チョコとかヘタに紳士向け最適化を行なわれていて全然甘味が物足りないのだよなあ。最近はホワイトチョコがうまいなあとおもうのだけれどもどうもチョコ種の中でもホワイトが最もダイエッターの天敵らしいよ、となんかに書いてあったな。なんか専門書に。でも最近はダンベル体操に没頭していたおかげでまたゲリゲリいった。そろそろウエスト60台に入りそうだ。最近のオンナ男界では女体化・ふたなり願望のチラみせが盛っているみたいだけれども、そういえばフィールドワークの資料閲覧などで知った鳥越乃亜という人の体型がすごい(比較対象は全く考慮していないのだけど)。きっとふたなりはあんな感じの体型に違いないな。説明しきれないけど。詳細は各自フィールドワークの資料閲覧などで確認。
http://www.naispo.net/entertainment/20070215/06.php
たまたま見つけた。なぜこの時期に。
逆に言うと「意外すぎるほどの趣味が発覚した」とかナイタイで書いて喜んでもらえるだろうという具合の位置に今の福山はいるのだよなと感慨深く思った。
福山がラジオやると毎回シモトークだらけのどうしようもない内容になるのだけど。福山も伊集院も進む方向が違っただけで元を辿るとキャラクターイメージがかぶるなあ(LFでUp'sの裏にANNぶつけられて沈んでたりもしたけど)。ふと思うのは成れうるとして自分が福山と伊集院、どっちの道に進んだほうがより幸せになれるんだろうな、ということだった(たとえば伊集院の場合はもっと黒認知が渡っているから"発覚"とスキャンダラスには喜ばれないし、そのプロモーション的需要もないのだろうが)。
そういえばずいぶんまえ現役のIZAMと揉めていたのだが(揉めていたというよりIZAM側にあんま耐性ないので一方的におちょけりに反応しちゃってたかんじだが)最近のハガキコーナーでも帰ってきたIZAMネタとかあったしまた反応すんのかなIZAMはと思った。
日テレ五味P(エンタのね)の間接的なやり取りの時で「面白いもん(うけたもの)勝ちとはいえ自分の認められない面白で自己領域まで侵されてしまうかもしれないことに危機感を感じる(ので否定の声は上げる)」というのがあったけど、伊集院自身でもSP(制作側の)一般受け戦略や若手芸人ネタでの距離感や、野球重思い入れによる何様指摘(素人スポーツキャスター・解説者批判)とかも繰り出したりして自己矛盾も抱えているし思想的な穴もあるよなあ前から思っている。
伊集院ついでだが、メディア・クリエイト面白論関連で「面白いもの」と「泣けるもの(感情をより動かされるもの)」は別で「つまらないけど泣ける」もありそれは良い作品・良くない作品という評価軸でもあるが「泣けるから良い」というわけではないというものがあって、これはどんだけ評論などで糞ミソにされても既に面白いと思ったものがつまらなくなることはないし、流した涙も涙腺に逆流をしない、という所と重なって、じゃあなぜ批評とか見るのといえば「なぜ面白い(つまらない)のかを理解しより面白くなるためで」あってじゃあより正確且つつまんない批評より不正確だが面白い批評の方を求めるのかとなると前述の良い/面白いの話になって、それは正確なものが(そう思わせてくれるものが)面白いと思うようにならないといけないわけで、その地点にまでいかないと意味がないのだよな。例えばいわゆるケータイ小説とかの面白いが文學なんちゃらの高質面白いに対して劣るのかといえば万人にそうではないし、あたらしいものを生み出す/表現する発展性をもとめても人間様はよくできていて記憶メモリのキャパシティ的に都合良く忘れられて同程度の面白いはサイクルで再利用できるし、同じものをずうっとやり混んでいられるほど興味対象の振り分けはせまくはないし、そのすべては同系質の事項だけでできているわけではないから、いってしまうと「なにもきにすることがない」で済んでしまう。というのが現在の心境。=なにもいうことがないというのが結論なのだが考え過ぎというのは考えてみないことには分からないものよ。そしてその思考過程を書き出して記録しておくのもまた一興。これもサイクルであろうので何回も繰り返すのだろうな。
「ウソオー 安室ちゃんキャンユーセレブレイト!」とは何か。といえばそれは一九九七年当時、歌手の安室奈美恵がTK Rave FactoryのSAMメンバーとの婚約を発表したその当日。俺は今日も今日とて学校を休みダービースタリオンに励んでいたのだが、もうプレイといえるプレイは決まり切った手作業なので、退屈しのぎにAV接続の音声のみを弄りTV番組にして、画面のみでプレイしていた時、ちょうど三時のワイドショーで前述の安室奈美恵の婚約が報じられ、その知らせを街中で号外などを配る様の中継時に、インタビューをうけたオンナが発した台詞である。今日突然思い出したので一〇年の溜を経てツッコミを入れることにした。Can You Celebrate ! は祝いの句として機能しない!(どーん)
23区特定地域オタとしての歴は2年そこらなのだが今現在のマイフェイバリット特定区は断然千代田区で王道へ帰ってきた感じだが、23区特定地域オタに浸かり始めた当所は皇居丸の内界隈のイメージが先行して千代田区が大嫌いであった。新宿区の住吉町>抜弁天のラインに関心をしたり、文京区とかに萌えていた。これは若かったとしか言いようがない。が今では外神田以南の一帯を覚えてしまったので西神田三丁目から飯田橋二丁目へ抜ける美しいシルウェットで性的興奮を覚えるほどに成長した。しかし23区特定地域オタといっても23すべて抑えているわけではなく23区の中のそのまた特定の地域のみを愛好しているのであって別段思い入れのない池袋より上は埼玉ということにしておこうとか、北区足立区とかは海外でいいんじゃねーのかという事を思っている。