終電が行くとわりと静かな街 明るい夜はとても便利です
ほんとの事を僕らは知りたいだけ 僕らの日々は
使い古した言葉で強くなれ る 旅の果てまで東京 / GOING UNDER GROUND
どうもおかしい。メタフィジカル的転点にきている気がする。のが、先日Heiner Muller題材の気違い演劇を観てうひょうひょして、Jan vankmajerの短編映像作品を観てぶひゃぶひゃしてだなー(神の舌を持つ男)、一反はそうだ俺はこういう人種なのだ! と結論づけて安心してから翌日にはもう崩れている。なにかというとありのまま起こったことを話すぜ・・・俺はまずrubyの実行文字列やらをいかんとしたものかと睨んで弄っていたのだがTV画面から「やしきたかじんで東京」という声が聞こえてきた瞬間(いや幻聴ではなく岡村隆史かなんかが言っていた)「そうだ東京に纏わる歌謡曲を聴き集めなくては!」と思い調べていたのだけどまあ長渕から銀杏ファジファブリック宇多田グループ魂DEENフランク永井GOGO7188とタイトルだけで引っかかるのでもものすごい量があって、珠玉混合か。金剛像か。と、うわー道のりが長そうだと思ったところで姫トラですよ。これはやべーのきたと思い深夜にプジョーをぶっ飛ばしてレコードショップなるものに行ってきた。何年かぶりに。
結論としては俺は悪くないのでどうも東京の野郎のせいだなとはおもう。田舎にいた頃は彼は良い子だった。やればできる子であった。そしてやらないで寝ている子であった。ロフトもあるビッグサイトもある外神田も歌舞伎町も神田松下町もある、オラこんな都市いやだ、知床(しれとこ)帰って、じゃがいもばたけでポリスノーツごっこやるだ、と謳った詩人は幾人物であろうか――私の記憶が確かならばおそらく鉄人・ゲーテであろうが、最近はこのトウキョウ的な疑似病的悪癖に大衆舞踏音楽に興味津々で、どこらへんかなーとユーロレイブコア周辺の史実を漁りだしたがどうもピンとこない、のはそのカウンタカルチャッ子的挙動願望のせいでインテリ流れに乗って一部特定音楽史観を講釈垂れるのに嫌感情がある、が知識を入れること自体は良しとして、それはカウンタ対象を凌駕するために利用すべきだなとはおもう。具体的に言うとクラブカルチャーでも最も下種で衆悪で国内一部特定タコツボ的で現場ライン的なフェイズに憧れるのであってそのための姫トラであるな、とこれをまさに俺は鋼の拳を持ったテキストサイターという種に生まれ落ちたからには最大限に利用しようと思った。傾倒というのかな。のちに脳内刊行される俺思想史では、この時期のlaisoさんはバリバリのノリノリのアゲアゲ周辺をもの凄く陰気に吸収する手に負えそうにない状態にあったらしいよと記述されるのであろう(今、木村由姫のLOVEアンドJOYが流れている…… 弁護士 花村大介か!)
laiso 二〇〇七年二月 チェイコフスキー/交響曲第5番を聴きつつ――マカダム式ローラーでのした飴細工の棒手裏剣を投げつつ